2011/3/22 火曜日

『18枚の写真』

小森陽一日記 11:21:57

夕方、僕の携帯が鳴った。表示された名前を見てハッとした。東松島市野蒜のAさんだった。震災から10日目、ついにご本人の声を聞く事が出来た。
  
正直、僕は「よかった………」としか言ってないと思う。その言葉を何度も何度も繰り返した気がする。しかしAさんは確かな声でその時の状況を話してくれた。
「津波で5km流されました………。それで、あばら骨が折れてしまって………」
でも、そんな身体でも遺体の収容を手伝っていると言う。
「川底に………まだ沢山の遺体が沈んでるんです………」
警察や消防や自衛隊と混じって、懸命に遺体を冷たい水から運び出しているAさんの姿が浮かぶ。泥だらけで痛みに耐えながら作業を続ける姿が浮かぶ。
「妻はお年寄りや被災した子供達の世話をして走り回ってます」
そう、そんな人達なのだ。

「………人が亡くなる時って………親しい者の名前を呼んで………事切れるんですね………」 
僕は返す言葉を失う。生き残った人は一体何人の最後の言葉を耳にした事だろう。決して消えない言葉。それはあまりにも辛くそして重い………。
「それでも私は………必ず仕事に復帰します………。必ず戻ってみせます」
「僕も全力でバックアップします!」
「いや………小森さんの声を聞けただけで………力が戻って来ました!」
そんな訳ない。なのにそんな風に元気な声が返って来る。この人は本当に強い、僕は心底そう思った。

だが、そんなAさんの声にふいに涙が混じる。
「避難している最中………必死で………18枚の写真を撮りました。それを小森さんに渡します。………いつか、小森さんの手で………この事を物語にして下さい………」
あの日起こった真実を伝えようとして、文字通り命を掛けて撮った18枚の写真。それはまさに命そのものだ。命を託されたのと同義だ。
「分りました。必ず取りに伺いますから!」
僕ははっきりとそう応えた。

遠くない日に必ず会いに行こう。そしていつの日か、何年先になるか分らないが、きっといつの日かその物語を綴ってみよう。

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