2012/5/29 火曜日

『イルマ登場! それが君のタイミング』

小森陽一日記 12:04:55

ご存知ない方の為に簡単な解説を―――。
ビッグコミックに連載中の「S 最後の警官」、林イルマは現在店頭にある11号から登場した新キャラである。確かに新キャラではあるのだが、このイルマ、実は最初からいた。まだ神御蔵の名前が「勇太郎」だったり、蘇我の苗字が「高野」だったり、香椎の出身がSATではなくレンジャーだった頃から、何より僕の手書きノートの時点で既に彼女はいた。しかも、陸上自衛隊出身の狙撃手、林イルマとして。最初に考えたキャラ設定がまったくブレずに登場するのは、変遷を辿る僕の作品の中ではとても珍しい。

201205291.jpg

林イルマにも関わらず登場がここまで遅れた。その理由は様々ある。だがやはり一番の理由を挙げるとなるとこれだろう。それは「S」という作品の境界線だ。「現実感」と「虚構」の境、どこまでリアルを追い求めるのか、どこからファンタジーでまとめるのか、その線引きをどこにするかという事に、当時は延々と頭を悩ませていた。

日本の特殊部隊に女性は存在しない。もちろん未来は分からない。だが、現時点ではいない。いないものを「いる」、として書いたらどうなるか? いないのだからもちろん不安定にはなる。しかし、ドキュメントではなくマンガなのだからそれもアリだろう。だが、それをする事によって、他の設定まで作り事に見られないか? そもそもNPSという存在自体が架空なのだ。そこに女性隊員を加えると、それこそ何もかもが絵空事に見えてはしまわないだろうか? だが、イルマがいる事でNPSのチームワークやキャラの個性に深みを持たせる事は出来る。女がいると男はカッコつけたり、とんがったり、優しくなったりうろたえたり、色んな表情を見せるからだ。
「だが……」
考えた末、「S」の世界観が浸透するまでは出さないと決めた。これは担当K、そして藤堂くんとも十分に相談した末に決めた事だ。

実はここ半年ほど、読者の皆さんから投げ掛けられる質問の中身が「変化している」と感じるようになった。最初は圧倒的多数で「あんな特殊部隊ってほんとにいるんですか?」というものだった。そもそも日本に特殊部隊が「いる」、という事を知らない人がこんなに大勢「いる」のだと知って愕然とした。特殊部隊の存在は知られて「いる」、という事からスタートした作品だったから、いきなり足元が掬われた感じになったものだ。それどころか現職の警察官から「もっともらしくウソを書くな」と厳しい言葉を投げられたのも一度や二度ではない。警察上層部がSATの存在をほとんど公にしてこなかったから、警察官ですら特殊部隊の事を知らないのだ。これには本当に頭を抱えた……。

しかし、月日が経つにつれて作品も、そして現実の世の中も変化した。この作品で描かれている事がどうやらまったくの嘘ではないらしい……と気付く人も増えて来た。「作者はほんとの事を知っていて、ワザと少しずらして書いている」なんて言う人も出て来た。ようやく「S」の世界観が浸透して来たんだと思った。予想以上に時間は掛かったが、土台はほぼ固まった。今度はその上に乗っているキャラクター達を更に磨き込もう。その為には眠っている彼女を起こすしかない。縁上編の最中、箱入り娘のイルマに世間の光を当てようと決めた。

201205292.jpg

出番を待って貰っていた分、彼女には散々暴れて貰いたい。いや、もう僕の手を離れて勝手に暴れ始めている。藤堂くんとは実に呼吸がピッタリだ。その証拠に「描くのが楽しい!」なんてノロケている。
―――なんて事を書いていたら雑誌の取材依頼が来た。テーマは「覚悟」、だそうだ。まさに今の気分にピッタリである。という事ですんなり受ける事にした。

月末には7巻が発売される。「S」が大きく羽ばたく出来事を伝えられるのもそんなに遠い話じゃない。皆さん、その時を「覚悟」して待っていて下さい。

201205293.jpg

(C)CopyRight Yoichi Komori All rights reserved.