2011/6/21 火曜日

『交流戦V』

小森陽一日記 11:02:37

2011年の日本生命セ・パ交流戦、ソフトバンクホークスが優勝を決めた。終ってみればセリーグ全球団に勝ち越し、18勝4敗2分けの交流戦史上最高勝率818!これはもう驚愕の数字だ。この数字を叩き出せたのは監督やコーチの采配、選手の頑張り、裏方さん達の献身的な支えがある。もちろん補強の影響もあるだろうし、日頃パ・リーグで日本代表格のエース達と凌ぎを削っているからこそのレベルアップもあろう。しかし、今年はそこにもうひとつ付け加えたい事がある。それはチーム力だ。

ナゴヤドームでドラゴンズ相手に優勝を決めた晩、ポンちゃんこと本多選手が多村選手のユニフォームを持ってグラウンドにいた。怪我でその場にいない多村選手のユニフォームがそこにあった事に、チーム愛を感じて胸が熱くなった。その事をポンちゃんにメールすると、こんな言葉が返って来た。
「多村さんが僕に託してくれました!みんなで勝ち取りましたから」
みんなで勝ち取った優勝―――。その姿と言葉にかつてのWBC優勝の瞬間を思い出した。

2009年、韓国との激闘を制し5対3で勝利し、連続優勝を遂げた日本、そのグラウンドには高々と背番号25のユニフォームを掲げる男がいた。太腿の負傷で戦列を離れる事になった村田選手、その魂は内川選手によってグラウンドにもたらされていた。あの光景を見た時、このチームが凄まじい逆境を跳ね返して勝ったワケが分った気がした。

あれから3年、内川選手はホークスの一員に加わった。現在、パ・リーグ最高打率を誇る3番バッターとして、交流戦MVPに最も近いのではないかと思われる。WBCの光景が脳裏に刻まれた僕にとって、内川選手の加入は本当に嬉しい出来事だった。……だが、土・日の横浜戦、心無いファンから浴びせられるブーイングは醜いものだった。あんなにひどいブーイングを聞いたのは久し振りのような気がする。確かに応援しているチームの選手が相手チームのユニフォームを着ている事に違和感を覚える心情を否定はしない。長年、熱い声援を送って来た相手であればなおさらそうだ。それは分る。僕も同じような経験をしているから。内川選手も横浜で深く愛されていた。あのブーイングはその裏返しだろうと思う。思うようにしている。しかし、横浜のオーナーの発言だけはいただけない。
「内川を痛めつけて(交流戦を)終わりたい」
あんな言葉、トップの者が言うべきものでは決してない。断じてだ。

個で闘い、和で闘う。
ホークスは今、そのような状態にあると思う。そこにいない選手のユニフォームを掲げる男達のいるチーム、ファンはますます魅かれ、巻き込まれ、大きなうねりを作る。週末からはいよいよリーグ戦が再開される。内川選手、みそぎ禊は済みました。これからはさらに思う存分暴れて下さい。あなたの事を心底応援していた横浜のファンは、いつまでもあなたの背中に声援を送る筈だから。そうだよね、ポンちゃん。

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